インドネシアより無事祖国の地を踏む・・・
今回の旅は、かの国の「観光客相手」の「表面」ではなく、
現実の暮らしである「裏面」「リアルな面」を見ることができた。
これも我が友Sのおかげである。
1月1日に「食あたり」のため、動くこともできず、嘔吐と下痢を繰り返し、
しまいには何も出るものがなく、まさしく身体の中が「カラッポ」になった。
寝返りもうつことができないくらいに苦しい思いをした。
祖国ではない「外の国」でのこの状況は、さらに私を不安にさせた・・・
だが、友Sと彼の家族がとにかく心配をしてくれ、手厚く介抱してくれた。
大切なのは国境を越えた「仲間」という絆である。
そうして2日には、「フライオニオン」を乗せた「おかゆ」を食べられるまでに回復した。
この日は新たなレドンダでの商品となる「Tシャツ」のメーカーと会う予定だったため、
身体を引きづりながら出発!
ここでも友Sの弟殿の車が大活躍する。
Tシャツメーカーの話はまた後日話そう。
今祖国に戻ったあとに総括的に思うことは、
いかにわが国が「素晴らしく平和」で「高文明」を誇る国であったか・・・ということだ。
かの国ではまず「衛生面」がよくない。
トイレも郊外では「紙」はない。
路上では渋滞で止まっている車のそばを動きまわり、
スナックなどの簡単な食料品、水などを販売する人、
夜中にも関わらず新聞を売り歩く少女、
ただ、交通整理をやりチップももらう者、
障害をあえて見せることによりチップをせびる者、
その他、「金」を稼ぐためにとにかくなんでもいいから動いているという印象だった。
この国では「格差」というものが恐ろしく激しいのだ。
一方ではそういった人々が、
もう一方では丸々太って食料を食べ、おうへいな態度で携帯を見せびらかし、
ウェイターに注文をする人々。
かの国では「お金」というものがより「リアルな力」を持っているのだ。
才能があってもチャンスを見つけることさえ難しい。
我が国では、やろうと思えば「学校」もある、「バイト」もできる。
だが、かの国ではそれすらない。
日々「食べる物」に追われている。
友Sが言った・・・
いかに「教育」が大事か、
まず底辺の「食」を満たすことがいかに大事か、
この現状を見て、私は大きくうなづいた・・・
そして、友Sの地元の街を見渡し、
彼が
「この現実から抜け出すために必死で勉強した」
という言葉の凄さを思い知った・・・
今や彼は我が国でも一流の企業に勤めている。
私はこの素晴らしき「友」を誇りに思った。
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